※町単位の世帯数・人口です。自治会単位ではありません。
篠原地区世帯数・人口(令和6年4月1日現在)
地区 |
町字名 |
世帯数 |
男 |
女 |
計 |
篠原地区3町 |
篠原町 |
4,046 |
4,646 |
4,772 |
9,418 |
坪井町 |
884 |
1,017 |
1,013 |
2,030 |
|
馬郡町 |
1,401 |
1,580 |
1,630 |
3,210 |
|
|
|
|
|
|
|
計 |
6,331 |
7,243 |
7,415 |
14,658 |
馬郡町の世帯数・人口の推移(過去15年間)
年月日 |
世帯数 |
男 |
女 |
計 |
令和5年(2023)4月1日 |
1,396 |
1,595 |
1,652 |
3,247 |
令和4年(2022)4月1日 |
1,377 |
1,627 |
1,652 |
3,279 |
令和3年(2021)4月1日 |
1,380 |
1,628 |
1,666 |
3,294 |
令和2年(2020)4月1日 |
1,372 |
1,635 |
1,693 |
3,328 |
平成31年(2019)4月1日 |
1,351 |
1,638 |
1,699 |
3,337 |
平成30年(2018)4月1日 |
1,348 |
1,667 |
1,715 |
3,382 |
平成29年(2017)4月1日 |
1,343 |
1,671 |
1,719 |
3,390 |
平成28年(2016)4月1日 |
1,349 |
1,701 |
1,762 |
3,463 |
平成27年(2015)4月1日 |
1,338 |
1,722 |
1,778 |
3,500 |
平成26年(2014)4月1日 |
1,309 |
1,716 |
1,766 |
3,482 |
平成25年(2013)4月1日 |
1,295 |
1,723 |
1,778 |
3,501 |
平成24年(2012)4月1日 |
1,301 |
1,745 |
1,819 |
3,564 |
平成23年(2011)4月1日 |
1,301 |
1,761 |
1,849 |
3,610 |
平成22年(2010)4月1日 |
1,297 |
1,783 |
1,850 |
3,633 |
平成21年(2009)4月1日 |
1,293 |
1,794 |
1,846 |
3,640 |
※浜松市HP掲載の住民基本台帳による人口と世帯数から引用・抜粋
☆馬郡関係のできごとは太字にしています。不定期に更新しますのでご了承ください。
令和6年(2024)2月17日現在
西暦 |
和 暦 |
内 容 |
645 |
大化元年 |
大化の改新 |
681 |
天武天皇10年 |
この頃すでに柴江(馬郡あたりか)に集落がある。 |
1145 |
久安元年 |
8 観音堂、洪水のため堂宇破滅する。後に堂宇を現在地に写し再建する。 |
1185 |
建久3年 |
鎌倉幕府ができる。 |
1212 |
建暦2年 |
9 神明宮、西神明神社創立 |
1242 |
仁治3年 |
8「東関紀行」の著者、浜名橋を渡り馬郡の観音堂を参詣する。 |
1338 |
延元3年 |
足利尊氏が幕府を開く |
1358 |
延文3年 |
臨済宗高僧 寂室元光が馬郡の如意寺に宿す。 |
1381 |
永徳元年 |
9 沙門日朝上人、馬郡に大泉坊(西本徳寺)、泉光坊(東本徳寺)を開基した。 |
1395 |
応永2年 |
8 春日神社建立 |
1467 |
応仁元年 |
応仁の乱がおこる。 |
1489 |
延徳元年 |
4 恵徳庵(のちの保泉寺、萬松院)恵徳により開山、鈴木喜六郎重尚により開基 |
1498 |
明応7年 |
7 大暴風雨、大洪水、大地震、大津波あり。 8.25 地震、津波にて浜名湖は外海に通じ今切口を生ずる。この地震で舞沢郷は湖底に沈み、難を逃れた人々が東方の松原で生活を始める。この人達を「前沢ノ三十六屋敷」という。 |
1499 |
明応8年 |
7.15 大地震津波があり、浜名橋以東数村水浸する |
1510 |
永正7年 |
8.27 大地震により浜名湖今切口崩壊する 8.29 大地震、大雨で長里郷は水没し17人が現篠原へ移ると伝わる |
1513 |
永正10年 |
3 恵徳庵は徳恩寺と改名する |
1560 |
永禄3年 |
桶狭間の戦い 今川義元討死 |
1566 |
永禄9年 |
2.10 家康、江間加賀守に知行証文を下す。文中に「舞坂まこふり 弐十貫舟共に」とある。 4.21 今川氏真、江間加賀守に知行証文を下す。文中に「参拾一貫文 馬郡舞坂」とある |
1569 |
永禄12年 |
2-2 家康、江間弥三に知行証文を下す。文中に「参拾一貫文船五艘共 馬郡舞坂」とある |
1572 |
元亀3年 |
武田信玄、遠江侵攻 三方ヶ原の戦い 家康大敗 |
1573 |
元亀4年 |
室町幕府が滅びる。 |
1575 |
天正3年 |
長篠・設楽原の戦い |
1582 |
天正10年 |
本能寺の変 |
1584 |
天正12年 |
小牧・長久手の戦い |
1590 |
天正18年 |
豊臣秀吉の全国統一 |
1600 |
慶長5年 |
関ヶ原の戦い |
1603 |
慶長8年 |
家康、征夷大将軍、江戸幕府を開く |
1608 |
慶長13年 |
松水山 如意寺(曹洞宗)創建 |
1614 |
慶長19年 |
大阪冬の陣 |
1615 |
元和元年 |
大阪夏の陣、豊臣滅亡 |
1624 |
寛永元年 |
寛永年間(-寛永20年・1643)舞坂・馬郡・坪井3ヶ村と塩町との間に塩紛争が持ち上がる。原因は浜松肴町の者が舞坂で購入した魚に舞坂の塩を使用したことからであった。 如意寺、虚谷泉廓和尚により開創 |
1627 |
寛永4年 |
10.4 馬郡村 大地震により浜表堤15箇所切田畑砂押込み、高50石荒地にあいなり13石海となる。潰家11軒、破損家38軒、破損船8艘、往環5か所切出橋流出 |
1628 |
寛永5年 |
3 幕府、前年の大地震で損傷した今切渡船路の復興をする。渡船路は弁天島(西之野)の南側から安全な北側に変更される |
1635 |
寛永12年 |
参勤交代の制 |
1646 |
正保3年 |
篠原村と山崎村との間で藻草場の争論が起こるが決着する |
1664 |
寛文4年 |
坪井の東光寺、松室元操禅師本堂に中興する |
1675 |
延宝3年 |
馬郡村で検地が行われる |
1680 |
延宝8年 |
この頃坪井・馬郡村は加宿の指定を受ける。2村合わせて舞坂宿の宿立人馬の三分の一を負担することになる。 |
1690 |
元禄3年 |
篠原村と山崎村との間で再び藻草場の争論が起こり、篠原村は訴訟を起こす 浜名湖の藻草場、舞坂、馬郡、坪井、篠原、宇布見の五か村の入会となる。 |
|
|
|
1691 |
元禄4年 |
8 篠原村と山崎村との間で再び藻草場の争論が起こり、裁許を下す |
1699 |
元禄12年 |
8.15 舞坂宿、暴風雨により大きな被害を受ける |
1707 |
宝永4年 |
10.4 宝永地震。大地震にみまわれ、3度の津波に襲われる。これにより今切が大分広くなり、今切渡船路が損傷し一時廃する。新居宿、全家屋の約半分流出し、39人が溺死する。 |
1713 |
正徳3年 |
10 東馬郡の村人により馬郡観音堂が再建される。 |
1716 |
正徳6年 |
享保の改革 |
1718 |
享保3年 |
馬郡村の文書に「塩くみ道」という文言がある |
1723 |
享保8年 |
馬郡村の藤田権十郎伊勢松(俳人 去草)、渡辺蒙庵について国学を学び、のちに賀茂真淵について国学を学ぶ。 |
1731 |
享保16年 |
藤田権十郎(馬郡)が米大明神(息神社)へ大般若経600巻を奉納する |
1738 |
元文3年 |
浜松塩町は舞坂加宿の馬郡村、坪井村を相手に塩の売買についての訴訟を起こす。 |
1739 |
元文4年 |
元文3年に起きた浜松塩町と馬郡村との塩論争、塩町が勝訴する |
1746 |
延享3年 |
8.3 舞坂、馬郡村から中泉役所の8/2付の廻状(怪しい者「日本左衛門」の調査)と受け取る。9/21付の廻状(日本左衛門の探索を命じる)10/4付の廻状(盗賊改徳山五兵衛、日本左衛門を取り逃す。)10/28舞坂に日本左衛門の手配書が来る ※歌舞伎「青砥稿花紅彩画(白浪五人男))に出てくる日本駄衛門のモデル |
1747 |
延享4年 |
1.6 日本左衛門、京都町奉行所に自首する。 |
1753 |
宝暦3年 |
坪井の東光寺、晩良元明禅師により本堂を中興する |
1783 |
天明3年 |
天明の大飢饉 |
1792 |
寛政4年 |
7.13 風水害により、舞坂から浜松までの田畑は荒野・沼となる |
1799 |
寛政11年 |
内山真龍が「遠江国風土記伝」を完成 |
1804 |
文化元年 |
東海道中膝栗毛の第3編が発行される。篠原での茶屋の記述がある |
1805 |
文化2年 |
遠州屋新兵衛、坪井の稲荷神社に灯籠を寄進。 3.18 伊能忠敬者人を伴い篠原村、入野村、佐鳴湖を測量する |
1806 |
文化3年 |
木版印刷による「大般若経」が馬郡観音に奉納される。後に如意寺に移管。 |
1808 |
文化5年 |
遠州屋伝兵衛、春日神社(馬郡)に灯籠を寄進。 4 馬郡村の藤田権十郎伊勢松(俳人去草)死す。旧藤田家の5代目として生まれる。渡辺蒙庵について国学を学び、賀茂真淵晩年の門人であった。 |
1811 |
文化8年 |
遠州屋新兵衛他10名、江戸小舟町八雲神社(元は牛頭天王社)に天水桶を寄進。 |
1815 |
文化12年 |
遠州屋新兵衛没、28歳か、この時娘しげ6、7歳、息子正之助4、5歳。 |
1816 |
文化13年 |
遠州屋伝兵衛、尼屋伝次郎、稲荷神社に鳥居を寄進。 |
1820 |
文政3年 |
藤田松湖、藤田権十郎の二男として生まれる。画は福田半香に学び、山水・花鳥に長じる。元治元年9月16日45歳で没する。 |
1824 |
文政7年 |
「江戸買物独案内」が刊行、遠州屋新兵衛(2代目か)、尼屋伝次郎、遠州屋伝兵衛の名前が出てくる。 6 長尾華陽、藤田権十郎の三男として生まれる。江戸に遊学して漢学、書、画を学ぶ。吉田の呉服商長尾家の養子となる。画は山水と特に花鳥を描く。大正12年7月12日90歳で没する。 |
1825 |
文政8年 |
この年の篠原村の浜網運上は舟14艘に対して鐚28貫325文、馬郡村は舟8艘に対して鐚16貫65文を納める |
1832 |
天保3年 |
遠州屋新兵衛の孫、榊原芳野、日本橋住吉町の町屋に正之助の長男として生まれる。 |
1836 |
天保7年 |
東海道筋、大凶作(飢饉)となる |
1841 |
天保12年 |
天保の改革 |
1850 |
嘉永3年 |
篠原村、坪井村、馬郡村、北浦開発して新田を作る。 |
1853 |
嘉永6年 |
ペリー浦賀に来る。 |
1854 |
安政元年 |
3.31 日米和親条約 11.4 安政東海大地震発生する。舞坂宿は甚大な被害を被る。馬郡村では津波が汐除堤を三度越し、東海道が5尺〜6尺ほど汐水に使った。また、津波による浸水は、篠原の玉蔵寺の境内に迫ったと伝えられている。 坪井で板橋、馬郡で土橋が一橋ずつ津波で流出したという記録がある。 11 前年に中泉代官に就任した林鶴梁、安政東海地震直後の被害調査のため篠原・坪井・馬郡・舞坂を見聞する |
1855 |
安政2年 |
篠原、坪井、馬郡他二ケ村は浜名湖の藻草を売買するには組合を通して行う旨を申し合わせる。 8 代官林鶴梁、舞坂・宇布見・馬郡・坪井・篠原を視察する |
1857 |
安政4年 |
芳野の父、正之助没、芳野26歳、結婚する、男子出生。 |
1859 |
|
安政の大獄 |
1862 |
文久2年 |
芳野の長男死亡。 |
1867 |
慶應3年 |
大政奉還 王政復古 尼屋2代目伝次郎の倅伝吉が3代目伝次郎となる。 |
1868 |
明治元年 |
9.4 篠原村、坪井村、馬郡村は駿府藩に属する。 10.2 明治天皇、初めての御東幸の際に坪井村大川(だいが)橋で野立て、篠原村立場で御小休される |
1869 |
明治2年 |
版籍奉還 駿府藩を廃止して静岡藩となる。 3.19 明治天皇、御再幸の際に篠原立場で御小休される |
1871 |
明治4年 |
7 廃藩置県令により静岡県となる。 11.15 駿河は静岡県、遠江は浜松県となる。篠原村、坪井村、馬郡村、舞坂宿、長十請新田は浜松県管下第一大区に属する |
1872 |
明治5年 |
12.3 明治政府、太陽暦を施行する。この日が明治6年1月1日となる |
1873 |
明治6年 |
2 大小区制を実施する。舞坂宿、篠原、坪井、馬郡村は浜松県管下第1大区第9小区となる |
1874 |
明治7年 |
12 馬郡学校が舞阪学校の分校として観音堂北において開校する。 この年の戸数、篠原477、坪井129、馬郡184、人口篠原2341、坪井636、馬郡923 |
1875 |
明治8年 |
7.15 浜松県第1大区の編成が変更される。舞坂宿、篠原、坪井、馬郡は第8小区となる。小区長は舞坂宿に、副区長は篠原村に置き、篠原坪井馬郡に各戸長を置く。 10 篠原学校、馬郡学校は舞坂学校から独立する |
1876 |
明治9年 |
8.21 浜松県を廃止して静岡県となる。 9.22 静岡県の区画改称により、舞坂宿、長十請新田、篠原、坪井、馬郡村は静岡県管下第12大区第8小区となる。 |
1877 |
明治10年 |
西南戦争 |
1878 |
明治11年 |
3 郡制定められる、篠原村、坪井村、馬郡村は敷地郡に属する。 明治天皇北陸東海道御巡幸の際、篠原立場で御小休される |
1880 |
明治13年 |
浜吉組が小舟町組に合併する、榊原伝次郎の名がある。 |
1880 |
明治13年 |
榊原芳野、発狂して1月文科省を辞職、中根岸の家に幽居する。 |
1881 |
明治14年 |
榊原芳野没 50歳。 12.25 浜名橋の開橋式が行われる。(舞坂-新居間渡船廃止) |
1881 |
明治14年 |
2代目、3代目榊原(尼屋)伝次郎没。 |
1882 |
明治15年 |
8 宇布見橋が完成する。(長さ1100mの賃取橋、設置者中村音作) |
1884 |
明治17年 |
7 篠原村は坪井村を合併する。 |
1885 |
明治18年 |
この頃より毎年1回峠に松を植え堤防を築く。 修整教育会組合12校(舞阪、馬郡、高塚、入野、篠原、神ケ谷などの小学校)、篠原浜で運動会を行う。(舞阪小学校の運動会の始まりとなる) |
1887 |
明治20年 |
東京鰹節問屋組合が設立される。副頭取に榊原伝次郎。 |
1888 |
明治21年 |
9 東海道線開通し馬郡駅開設される。 |
1889 |
明治22年 |
榊原伝次郎副頭取を辞職する。 |
1889 |
明治22年 |
2.11 大日本帝国憲法発布 3 篠原村、馬郡村を合併し、役場を善養寺に開設する。 3 篠原小学校は馬郡学校を合併する。 7 東海道本線が全線開通(馬郡駅の乗客数は12716人) 9.11 篠原村、台風により家屋倒壊178戸、破損家屋422戸、高潮により田畑50町1反3畝20歩砂入又は汐入、提塘破壊20ヶ所この延長1528間、東海道並木倒木18本、田畑作物損害2万4千余円の被害でる。 宇布見橋は舞坂の那須田又七の所有となる
|
1891 |
明治24年 |
12 馬郡駅の名称を改称して舞阪駅となる。 |
1892 |
明治25年 |
4 篠原村篠原尋常小学校となる。 7 篠原村篠原尋常小学校馬郡分校を設置する |
1893 |
明治26年 |
篠原区に消防機器三台をもって消防組組織され、ついで坪井、馬郡区にも組織される。 |
1894 |
明治27年 |
日清戦争 新居町那須田又七、ウナギの養殖を試みる。(舞阪におけるウナギ養殖の始まり) 27、8年頃宇布見橋は宇布見村宮崎長九郎他7人の共同経営となる |
1895 |
明治28年 |
2 坪井馬郡両区に消防組を組織する |
1896 |
明治29年 |
篠原村、敷地郡から浜名郡になる。 |
1898 |
明治31年 |
9.6 篠原村、暴風雨により家屋倒壊112戸、破損家屋759棟、浜名湖増汐で浸水家屋10戸、汐入田畑67町2反9畝12歩、提塘破壊27ヶ所この延長800間、田畑作物被害約2万余円の被害がでる |
1899 |
明治32年 |
12.23 篠原村、旋風により被害が発生する。機織工場倒壊圧死者2名負傷3人、転倒家屋10戸、破損家屋8棟、船舶破損60艘 |
1900 |
明治34年 |
東京の服部倉次郎は雄踏村中村源右衛門正輔と共同して服部中村養鼈場を創立し、那須田又七の土地8町歩を譲り受け鰻・スッポンの養殖を始める |
1902 |
明治35年 |
篠原村在京軍人団創立する。 |
1903 |
明治36年 |
篠原村漁業組合創立する。 篠原村農会創立する。 |
1904 |
明治37年 |
日露戦争 |
1905 |
明治38年 |
8 篠原村馬郡巡査駐在所分置する。 10 浜名郡沿海水産組合創立する。 |
1908 |
明治41年 |
志都呂橋が老朽して新橋を架橋し、銭取り橋となる 6.1 浜名湖巡航汽船(株)、舞阪航路(鷲津-舞阪間)の運行を開始する |
1909 |
明治42年 |
1 舞阪郵便局にて電話通信事務取扱始まり坪井馬郡等七カ所開通する。 |
1911 |
明治44年 |
浜松市制施行 人口36,782人 8.3 暴風雨により被害発生する。米作2割、落花生・甘薯3割減収、桑園5話以上の減葉。床下浸水家屋3戸、里道欠損2ヶ所・13間 10.23 馬郡青年会、会員234名にて発足する |
1912 |
大正元年 |
凧揚げ、和地山の練兵場で開催 |
1914 |
大正3年 |
第一次世界大戦 |
1915 |
大正4年 |
宇布見橋は長さ670mに改築される |
1916 |
大正5年 |
4 篠原小学校馬郡分校、教室を増築する(桁行2間) |
1918 |
大正7年 |
9.34 暴風雨により被害発生する。浜名湖高潮で篠原・坪井に汐入1町5反歩、堤防決壊5ヶ所45間、道路破損1ヶ所、田畑一時浸水5町2反歩、床下浸水家屋4戸、堤防破壊65ヶ所この延長2137間、漁具流出1網、漁船破損1艘、田畑作物被害甚大となる |
1920 |
大正9年 |
浜松でタクシーを営業していた万歳自動車商会が浜松-弁天島間の路線の運行を開始した |
1923 |
大正12年 |
9.1関東大震災。午前11:58近年稀に見る地震、時計は篠原村全村殆ど停止、池水多く溢れる。篠原在京軍人会は舞坂駅前に行路救護所を開設して避難者に便宜を供する |
1924 |
大正13年 |
馬郡村出身の堀内勝治郎は旭日氷糖株式会社を新設。中村氷糖株式会社とライバル競争をしながら、氷糖産業を発展させ、昭和初期、浜松は氷砂糖生産量日本一を誇っていた |
1926 |
大正15年 |
4.5 篠原小学校新校舎にて授業を開始する。馬郡学校は廃校になる。 7.12 雄踏町篠原村の道路組合設置が許可され、宇布見橋を個人から買取る 9.4 篠原村、暴風雨のため村内倒壊家屋17棟の被害発生 |
1927 |
昭和2年 |
1.1 宇布見橋は雄踏篠原線道路組合の経営となる。 金融恐慌がおこる。 |
1928 |
昭和3年 |
旭日写真工業(株)(社長堀内勝治郎)が国産第1号の写真フィルム(菊フィルム)の製造販売を始める |
1929 |
昭和4年 |
7.1 東海道線高塚信号場は駅に変更し高塚駅が開業する。 この頃より浜名湖畔の馬郡養魚場でツバメの越冬が始まる。 |
1931 |
昭和6年 |
満州事変 |
1933 |
昭和8年 |
7.18 春日神社、社殿を新築する |
1934 |
昭和9年 |
10 篠原小学校に二宮尊徳銅像が寄付される(寄付者高山国太郎) |
1935 |
昭和10年 |
2.8 午前2時30分頃舞坂駅前中央で出火し、近年稀なる大火となる。隣接町村の消防と浜松市の自動車ポンプの応援を求め消火に努力し、午前6時10分鎮火する。全焼17戸半焼45戸全焼棟数31棟、消失面積5反4畝5歩。西遠織布株式会社は全焼する |
1936 |
昭和11年 |
5.11 俗に言う「浜松第一中学毒饅頭事件」が発生し、死者44名、総患者数2201名(内篠原村は30名)の被害があった。 |
1937 |
昭和12年 |
日支事変が始まる 百貨店「松菱」が鍛冶町に開店 |
1939 |
昭和14年 |
4.2 消防組を警防団と改称する |
1940 |
昭和15年 |
6.1 舞坂駅が名称変更して舞阪駅になる 掛川-新所原間に国鉄二俣線全線開通 |
1941 |
昭和16年 |
太平洋戦争が始まる。 4.1 国民学校令交付され浜名郡篠原国民学校となる |
1943 |
昭和18年 |
6 篠原国民学校の東郷平八郎胸像、二宮尊徳銅像を供出する。 12 高等科児童を以て勤労報国隊を結成する。 秋葉山大火、秋葉神社本殿など焼失 |
1944 |
昭和19年 |
7 食料増産の要請により、東海道本線の北側の養鰻池を水田化する。 11 学徒動員決定する。高等科2年男子70名が鈴木織機へ、2年女子80名が遠州織機へ動員される 12 東南海地震発生する。(馬郡地区の被害 戸数:295、全壊:6、半壊:16) 12 東南海地震により篠原国民学校大廊下20間倒壊する |
1945 |
昭和20年 |
4.6 分散教育を開始する。停車場及び西馬郡西部の初1児童のため幼稚園にて行う。 4.30 空襲による篠原村内の被害、死者12人 5.18 篠原国民学校が米軍機の機銃掃射を受け、5年女児死亡、重症2名、軽傷1名。 5.19 空襲による篠原村内の被害、死者4人。 5.23 篠原国民学校、県下にさきがけて屋外防空壕付きの分教場を確保して授業を開始する。 6.18 空襲による篠原村内の被害、死者5人。 7 篠原地内にて列車と民家、馬郡のコロムビア音響工業が空襲を受ける。被害甚大。 7.1 空襲、P51 5機により銃撃を受ける。篠原国民学校第3、4、5校舎屋根に被害を受ける。 7.24 空襲による篠原村内の被害、死者6人、日蓄炎上。 7.25 空襲が頻繁になったため、御真影を奉還する。過酷校協議し、第4部会は千波田村の軍防空壕に奉還する。 7.28 篠原国民学校、空襲により校舎4棟に爆弾6発、第1、2校舎機銃掃射を受ける。 7.29 空襲による篠原村内の被害、死者8人。夜半より30日未明にかけ遠州灘より艦砲射撃を受ける。 8.14 終戦 |
1946 |
昭和21年 |
1.16 GHQは神社の車格を表す標柱の撤去を命ずる。 11 日本国憲法発布 |
1947 |
昭和22年 |
古橋廣之進、400m自由形で世界新記録を樹立(未公認) 3 教育基本法、学校教育法公布、6・3制が施行される。篠原村立篠原小学校となる。 4 篠原村立篠原中学校開校する。 11 警防団を消防団と改称する |
1948 |
昭和23年 |
青年団馬郡分団は食料不足を補うため権十エボを開墾して米作りをする |
1949 |
昭和24年 |
2.28 篠原中学校校舎完成する。 3.7 消防組織法により自治体消防団となる。 5.31 新川護岸回収工事馬郡地区を完成する |
1950 |
昭和25年 |
浜名湖が県立公園に指定される。 第1回浜松まつり開催 浜松市動物園開園 |
1953 |
昭和28年 |
2.1 テレビ放送が始まる。 9.25 台風13号が上陸通過し、風雨と高潮により甚大な被害を及ぼす。舞阪町の高潮1.5〜2m観測する。堤防決壊により特に養鰻業は壊滅的被害を受け、田(水稲)、蓮田、畑作物は大きな被害となる。家屋被害半壊1、床上浸水50、床下浸水242 |
1955 |
昭和30年 |
3 皇太子殿下、養魚場にて養鰻をご覧になる。 12 篠原中学校に運動場ができる |
1956 |
昭和31年 |
佐久間ダム完成 |
1957 |
昭和32年 |
7 篠原中学校50mプール完成する。 11 第一回村民体育大会、篠原小学校にて開催する。 |
1958 |
昭和33年 |
10.4 篠原中学校体育館(1003平米)が完成する。 12 全日本器楽合奏コンクールで篠原中学校が優勝する。 浜松城の天守閣再建 秋葉ダムと発電所完成 |
1959 |
昭和34年 |
9 篠原小学校、伊勢湾台風により各校舎に甚大な被害を被る。 |
1960 |
昭和35年 |
3 東海道の舗装が完成する。 4 国道1号線完成し、開通する。 5 宇布見橋は鉄筋コンクリート製になる。(長さ140m、幅6m) 8 篠原小学校にプールが完成する 全日本器楽合奏コンクールで篠原中学校が優勝する(2回目) |
1961 |
昭和36年 |
3.28 新国道1号(篠原バイパス 篠原村東から舞阪町新町交差点)開通する。これにより今までの国道1号は静岡県に移管され県道「竜洋舞阪線」隣、馬郡跨線橋南交差点から西は「細江舞阪線」となる 6 篠原村、浜松市に合併する。 6 消防団、浜松市合併に伴い浜松市消防団38分団となる。 9 志都呂橋コンクリート橋に架替えられる 10 馬郡町駅前地区に簡易水道完成する。 全日本器楽合奏コンクールで篠原中学校が優勝する(3回目) |
1964 |
昭和39年 |
10 東京オリンピック聖火リレー篠原地区を通過する。 東京オリンピック大会、東海道新幹線が開通する |
1965 |
昭和40年 |
全日本器楽合奏コンクールで篠原中学校が優勝する(4回目) |
1967 |
昭和42年 |
12 県道細江舞阪線の馬郡踏切が廃止され、東海道線を高架でまたぐ道路が完成開通する。 凧揚げ会場が中田島砂丘に変わる |
1968 |
昭和43年 |
5 坪井馬郡土地改良区が設立される。 浜名湖レイサイドウェイ開通 |
1969 |
昭和44年 |
10.27 国道浜松バイパス(浜松市安新町から篠原町)開通する。 水窪ダム完成 |
1972 |
昭和47年 |
畑地総合事業の舞阪馬郡地区と坪井地区感慨用揚水機場(No4)が完成する |
1973 |
昭和48年 |
4.1 浜松バイパスは国道1号となり、旧道となった区間(北島交差点-連尺交差点-篠原交差点)は国道257号線となる。 10 新国道の坪井町から舞阪新町交差点までに歩道が完成する 石油危機 いかり瀬に弁天島観光シンボルタワー(大鳥居)が建つ |
1974 |
昭和49年 |
11 篠原小学校百年祭記念式典開催する。 |
1975 |
昭和50年 |
篠原地区商工会夏祭りがこの年から始まる |
1977 |
昭和52年 |
船明ダム完成 |
1978 |
昭和53年 |
3.24 浜名バイパスが開通し、今切に浜名大橋がかかる。県道細江舞阪線は馬郡インターと結ばれる。 4 篠原公民館開館する。 |
1983 |
昭和58年 |
4 浜松湖南高校が開校する。 4 公民館付設体育館開館する。 竜ヶ岩洞オープン 浜松市動物園が舘山寺町に移転 |
1985 |
昭和60年 |
4 浜松市老人福祉センター「湖南荘」馬郡町に開館する。 |
1986 |
昭和61年 |
10 馬郡町に浜松湖南工業団地が設立される |
1987 |
昭和62年 |
7 馬郡工業団地が設立される 天竜浜名湖鉄道開業 |
1989 |
昭和63年 |
昭和天皇崩御 浜松駅ターミナルビル完成 6.26 戦時中の魚雷不発弾の探査が馬郡海岸で行われる |
1991 |
平成3年 |
市制80周年事業で「ふるさと資料室」を篠原小学校に作る。 3 南部消防署篠原派出所、庁舎を新設する(現西消防署) |
1992 |
平成4年 |
白玉葱消費拡大を目的として歌「オニオンチャチャチャ」が作られ披露される。 篠原地区凧揚げ会が設立され、浜松祭凧揚げに参加する。 5 ビッグエイト篠原店が馬郡町に開店する |
1994 |
平成6年 |
遠鉄ストアが篠原東に開店する。 アクトシティが完成 |
1995 |
平成7年 |
4 浜松地区の14農協が合併し、とぴあ浜松農業協同組合となる。 6.1 坪井の東光寺、本堂を再建する |
1996 |
平成8年 |
浜松市フルーツパーク開園 |
1997 |
平成9年 |
6 西本徳寺、書院を再建する |
1998 |
平成10年 |
秋野不矩美術館開館 |
1999 |
平成11年 |
4 浜名バイパスは夜間の沿道環境改善をするために、夜間(22時〜6時)の無料化を実施する。 県営湛水防除事業で坪井灌漑用排水機場を廃止し、馬郡排水機場が完成する |
2000 |
平成12年 |
5.14 如意寺、本堂・書院を再建する 静岡文化芸術大学が開学 |
2003 |
平成15年 |
舞阪駅 橋上駅舎、南北自由通路完成(浜名湖花博関連事業) |
2004 |
平成16年 |
3.28 とびうお大橋(橋長386m)が完成し、東海道本線を越す高架橋が完成して中環状線が開通する。 浜名湖花博、4/8〜10/11(187日間)の会期で、浜松市村櫛町で開催される。約544万人が来場。 南部消防署篠原派出所に水難救助隊を発足させ、水難救助者を配備する さざんか通りが完成する。 |
2005 |
平成17年 |
3.30 浜名バイパスは完全無料化される |
2007 |
平成19年 |
4 浜松市は政令指定都市に移行する。 7行政区画ができ、篠原地区は西区に属する 政令指定都市移行に伴い、南部消防署篠原派出所を西消防署とする |
2009 |
平成21年 |
2 古橋廣之進記念浜松市総合水泳場「ToBiO(トビオ)」完成 2 浜松市西部清掃工場落成する 2 西本徳寺、本堂を再建する |
2010 |
平成22年 |
11.15 坪井の東光寺、書院を再建する |
2011 |
平成23年 |
9.21 台風15号浜松付近に上陸し地区内では屋根瓦が飛ぶ被害が発生。古橋廣之進記念浜松市総合水泳場の屋根の一部が破損し、一部が使用できなくなる。復旧再開は翌年7月7日 浜松市制施行100周年。 |
2013 |
平成25年 |
公民館は協働センターに名称変更される。 馬郡村高札場にあった、おもり(守)様が老朽化により解体された。)現在は東本徳寺に祀られている |
2014 |
平成26年 |
9.7 馬郡町津波避難タワーが完成する |
2019 |
令和元年 |
7 つばめの宿が老朽化により解体され建物がなくなる |
2020 |
令和2年 |
3.31 浜松市沿岸域防潮堤の本体工事が完了(全長17.5km) |
2024 |
令和6年 |
1.1 浜松市の行政区が7区から3区に変わり馬郡町は西区から中央区に変更した。 浜名湖花博2024 |
|
|
|