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馬郡探訪04 「如意寺の涅槃図」

215日が何の日かご存知でしょうか? お釈迦様が入滅された日(亡くなられた日)とされています。その日は宗派に関係なく涅槃図を掲げて多くの寺院で法要が行われます。

涅槃会(ねはんえ)と言いますが、仏教の三大行事(涅槃会、灌仏会、成道会)の一つとされています。ちなみに、灌仏会(かんぶつえ)は誕生日である48日、成道会(じょうどうえ)は悟りを開いた日である128日に法要が行われます。

涅槃会は一般参加も可能で寺院によっては非公開とされる文化財級の大涅槃図を見られる機会でもあります。

 

さて、馬郡町にある如意寺の涅槃図ですが高さが330センチもあり、筆者も涅槃図を眺めるのは初めての経験でしたが、絵の美しさも相まって、その迫力に引き込まれそうになりました。

やはり、涅槃図に描かれている絵の内容を予習してから見たほうが、興味も感動も倍増するようです。にわか仕込みの解説で恐縮ですが、ご参考にしていただければ幸いです。

 

涅槃図を紹介する前に、涅槃画軸 掛軸の背面にあの伝兵衛?さんについて興味深い記述がありました。少しだけ寄り道をお許しください。

筆者は古文書を読めません。大先輩が解読された内容をさらに本ブログに転記するだけでも大変でした。漢字だらけですが何となく雰囲気は掴めますよね。

 

遠州敷地郡馬郡村刑部氏之末葉 俗名傳兵衛 住居於武城万町

称福本氏 発願令盡此像一軸興 同村之産石津権右衛門娘 俗名於祢

法名眼光院恵久倶戮力成此一軸也即 以元禄十三年庚辰六月二十六日

傳兵衛亡母自性妙異大姉十三回忌之晨設斎會於松水山之次請開光

懸堂前即開光之偈云   慶盡群生無可度 沙羅林下謝閑名點毫云

ヒ半夜満円月   玉鏡出翳照覚城   松水山如意主人養禅叟 書

 

漢字を知らないと大変ですね。入力するだけで滅茶苦茶時間がかかりました。「盡」は尽の旧字体だとか。我儘(わがまま)の儘の右側と同じなので、「儘のにんべんのない漢字」で検索。便利な世の中になりました。

 

元禄13年は西暦1700年、遠州屋伝兵衛が活躍したのは1800年代なので同じ伝兵衛でも100年の開きがあります。同一人物ではありえませんが名前が引き継がれることは良くある話です。実は刑部安四郎氏が書いた「引佐山徘徊」という著書にも涅槃図と百年前の伝兵衛の記述がありました。遠州屋とは結びつかず名前が同じだけなのだろうとその時はスルーしていたのですが、これまでの馬郡探訪で触れたとおり遠州屋一族が伝兵衛の時代から約100年前(1700年前後)に浜松から江戸に出てきている事実。無関係とはとても思えません。

 

話を涅槃図背面の由緒書きに戻します。

1700年の涅槃図の伝兵衛さんは、馬郡村の刑部氏の子孫らしい。このことは、昭和末年石津家によって涅槃図が修復されたとき発願者伝兵衛さんの出所を探したところ、馬郡村の刑部平八郎家であることが確認されています。

こちらの伝兵衛さんの住所は武城万町となっています。武城は現在の東京都、埼玉県、神奈川県あたりになるようです。万町は現在の東京都中央区日本橋一丁目。各種問屋が繁盛していたようですが、100年後遠州屋伝兵衛や遠州屋新兵衛が住んでいたのも日本橋(小舟町)かつ鰹節問屋です。

 

涅槃図の伝兵衛さんは刑部伝兵衛でした。それから100年後の遠州屋伝兵衛さんは馬郡村の刑部家の子孫ではないのか?状況証拠だけの推論になりますが、そう考えるほうが自然です。それでなくても刑部姓は圧倒的に馬郡に多いのです。

私の妄想は、遠州屋一族は榊原姓の多い坪井にルーツがあり、分家として遠州屋の看板を継いだ伝兵衛さんは馬郡がルーツだと勝手に確信しています。

 

話が横道に逸れましたが、遠州屋伝兵衛情報として補足しておきたかったことは以上です。

 

さて、涅槃図に戻りましょう。

如意寺でいただいた涅槃図の説明文によると次のように書かれています。

 

「こちらの涅槃図は元禄3年(1690年)今からおよそ340年前に、京都の絵師『長谷川土佐の守冨房』という人の画いた仏画です。寸法はおよそ縦330センチ、横190センチのとても大きな軸です。天明年間に一度修繕し、その後昭和62年にもう一度修繕して現在に至っています。如意寺所有の大般若経六百巻と同じく、この寺の宝として、大切に保管してあります。

お釈迦様は、215日の夕方に入滅されました。背景には満月と沙羅双樹が並んでいます。お釈迦様は、頭を北に、右の脇腹を下にして横たわっています。これを「図北面西右脇下(ずほくめんさいうきょうが)」と言います。亡くなった人を北枕にするのは、この故事に準えているからです。周囲には大勢の仏弟子や動物たち、帝釈天や四天王まで集まり、お釈迦様の入滅を嘆き悲しんでいます。しかしお釈迦様の顔は穏やかです。心安らかに満たされて生き、心安らかに満たされて死ぬ。それが理想の生き方、亡くなり方であり、この涅槃図はそれを表しています。」

 

簡潔にまとめられていますので、これで十分かと思いますが、登場人物の名前を覚えるだけでも大変です。

涅槃図を横に置いた形で図の上部から順にコメントを付しておきますので参考にしてください。

 

涅槃とは煩悩を滅却した状態とのことです。筆者は今はまだ子煩悩ならぬ孫煩悩を滅却できそうにありません。

 

心安らかに満たされて生き、心安らかに満たされて死ぬ。

 

そう願いたいものです。

 

 

※本文作成にあたっては、鈴木理市氏(如意寺総代 監事)に資料並びに情報提供いただきました。この場を借りてお礼申し上げます。

 

動画「涅槃図 如意寺にて」はこちらから 💁‍♂️…クリック 

お釈迦様

画の中心で金色に輝き、横たわっている方が涅槃にはいられた直後のお釈迦様になります。「頭北面西(ずほくめんさい)」で横たわり、今日でも亡くなった方を北枕か西枕で安置するのはこの故事からきています。

お釈迦様の足を擦る女性(老婆)います。諸説ありますが、一般的な定説では、須跋陀羅(スバッダラ)という120歳にもなる老汝だと言われています。お釈迦様の45年間の布教活動を労い、足を擦っているのです。お釈迦様が苦行を辞め、下山したとき、ミルク粥を施した「スジャータ(難陀婆羅(なんだばら)」だという説もありますがお釈迦様にミルク粥を施した時は、少女だと言われていますので、絵師の方の意図は須跋陀羅かと思われます。

満月

215日のため、十五夜の美しい満月が描かれています。

 

摩耶夫人(マヤブニン)

涅槃図の右肩の位置に孫悟空のように雲の上に乗った集団が見えます。高さが3mもあるので見えにくいですが、最も大きく描かれているのが、お釈迦様の生母・摩耶夫人です。満月のすぐ下に一人雲に乗った人物、お釈迦さまの弟子の阿那律尊者(アヌルッダ)に先導され、天女たち3人に付き添われて息子のもとへ向かっているところです。

沙羅双樹

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色・・・」

学生時代に暗記させられた平家物語にも出てくる木(花)の名前です。

図の上半分を使って8本の沙羅双樹が描かれています。この沙羅双樹のうち、左4本は茶色く枯れ、入滅の悲しみを、右4本は青々と葉を広げ、お釈迦さまの教えの不滅を表現しているそうです。これを「四枯四栄」といいます。花の色も違いますね。平家物語の沙羅双樹はこの時の情景なのかも知れません

投薬

沙羅双樹の左から2本目の木の枝に赤い袋のようなものが引っかかっています。これは摩耶夫人が涅槃の間際のお釈迦様に向けて、錫杖に薬を括り付けて投げたが、沙羅双樹の木に引っかかってしまい、結局間に合わなかった事を表していると言われていて投薬という言葉の語源にもなっています。もう一つの説が、錫杖が当時最低限に許されている僧侶の持ち物だとされている為、袈裟と器(食事をいただく)だという説もあります。様々な逸話が残されており、薬は間に合ったが、お釈迦様がそれを拒んだ、という話や、ねずみが薬をお釈迦様に届けようとしたら、猫に食べられてしまった等。図の中に猫や鼠はいないようですので、この絵師の方はこの逸話は採用しなかったようです。(後日、お寺の方にお聞きしたところ鼠はいるとのことでした。筆者の間違いです。皆さん探して見てください。(笑))

阿難陀尊者と阿泥樓駄尊者(1)

宝台下中央で嘆き悲しんでいるのはお釈迦さまの側近の阿難陀尊者(アーナンダ)です。

阿難陀尊者お釈迦様の弟子であり、優秀な十大弟子の一人になります。特に阿難陀尊者はお釈迦様の従者として、お釈迦様と共に旅を共にし、片時も離れずお釈迦様の説法を聞いていたため、多聞第一として、もっともお釈迦様の言葉を聞いた弟子として伝えられている方です。

 

 

阿難陀尊者と阿泥樓駄尊者(2)

お釈迦様が阿難陀に「これから私は涅槃にはいる」と言われても、意味が分からず、それを止めなかったと言われています。その後、お釈迦様が亡くなられると、意味がわかり、お釈迦様の涅槃を止めなかった自分をひどく責め、悲しみと自己嫌悪の為、気を失ったと伝えられています。

そのすぐ側で、阿難陀尊者を心配そうに丸い器を持って介抱している方が「阿泥樓駄尊者」(あぬるだそんじゃ)になります。それにしても皆様爪が長いですね。

様々な登場人物

涅槃図には様々な登場人物がいます。お釈迦様の弟子たち、八部衆と言われる「天、龍、夜叉、阿修羅、迦樓羅(あるら)、緊那羅(きんなら)、摩ご羅伽(まごらが)、乾だつ婆(げんだつば)」や帝釈天と四天王、様々な諸菩薩、大臣や長者たち、伝説上の動物や現存の動物たち。

食物連鎖の理や、普段は互いに争いあう諸動物も、この時ばかりは揃ってお釈迦さまの入滅を悲しんでいるのです。

迦陵頻伽(かりょうびんが)

迦陵頻伽は極楽浄土に住む人頭鳥身の鳥とされ美しい声を持つといいます。涅槃図の下の方に動物たちが描かれていますが、少し右側に迦陵頻伽を見つけることができます。声が美妙であることで有名であり、その声は聞くものを飽きさせることがなく、さらには如来の音声を除いては天人なども及ぶことがないといいます。

落款「富房」

極楽浄土に辿りついたところで涅槃図の説明を終わりたいと思いますが、少し視線を右にずらすと落款が見えます。涅槃図の作者である「富房」の文字を確認することができます。

 

如意寺の涅槃図の一般公開は2月14日(水)12時から2月18日12時(日)までとなっています。